エコツーリズムと自然保護について考えるためのブログ。<ダーウィンが、ガラパゴス諸島ではなく、ハワイ諸島で進化論を提唱していたら、ハワイの開発や観光のあり方も異なっていたかもしれない・・・>

シップマン・ハウスの正面にある階段は、1段目が不自然なほどに、普通では考えれないように高いのです。

これは馬や馬車を使っていた時代の名残です。この階段があるところは、ひさしのある車寄せ(ポーテコーシエ poporte-cochere)となっていて、馬車が入ってきて、この高い階段の1段目のところで、人が馬車に乗り降りしていました。この1段目は少し広くなっていて、そこから上は普通の階段です。1800年代から1900年代に移り変わるころのスタイルです。

私は、なぜそのような階段なのか何も気にせず考えもせず、何度も何度も上り下りしていましたが、「あ〜なるほど!」って思ったのは、お客様と日の出を見に行こうと早朝暗いうちにシップマン・ハウスを出発した日のことです。

階段の上のところで木々の合間に満月が沈んでいくところが見えていたので、「うわ〜、きれいだね〜」と感動して、その後、私は階段を「軽やかに」さっさっさっと下りていきました。そこまではいいのですが、薄暗かったせいもありますが(そのせいにしたいのですが、おっちょこちょいの私は)、最後の段のことをすっかり忘れていました。さっさっさの後、びょーんと飛んで落下してしまいました。かなり派手な転び方をしてしまったのですが、両膝ズボンに穴が空いてしまって、膝をすりむいてしまいました。大きなドジを踏んでしまいました。

数時間後、傷口を消毒しながら・・・「あ〜なるほど!」と、その時点でやっと、なぜ階段があのようになっているのか気づきました。

上品な上級階級の女性が馬車に乗り降りしていた姿とは大違いでしたね。もう少しおしとやかに階段を下りていたなら、あんなに不恰好な飛行と着陸はしていなかったでしょうね。で、私が運転する車はピックアップ・トラック・・・これもあんまり上品な車ではないですよねえ。 このページのトップへ

shipman houseハワイ島で一番長い川、ワイルク川(Wailuku River)にかかるレインボー・フォールズ(Rainbow Falls 虹の滝)の少し下流にリーズ・アイランド(Reeds Island)という島があります。リーズ・アイランドはワイルク川と(Wailuku River)とワイカプ川(Waikapu Stream)の侵食でできた深い谷の間に残った島のような土地です。


そこにシップマン・ハウス(Shipman House)と呼ばれるビクトリアン・スタイルの豪邸があります。馬や軽装馬車のレンタル(horse-and-buggy rentals)を営んで、キラウエア火山の有料ツアーを初めてやり始めた人物であるジャック・ウィルソン(J.R. "Jack" Wilson)が1899年に川に橋を造り、この豪邸を建築しました。


現在ヒロからボルケーノまではたったの45分ですが、シップマン・ハウスが建設された当時を振り返ってみると、1894年にVolcano Road(30マイルの道で工事費は$90,000) という道が完成し四頭だての馬車(four-horse stagecoaches)が利用されるようになり 、それまで2日間かかっていたのが6時間半になったとう時代です。 その後キラウエア火山を訪れる観光客が増え続けたため、1901年にHilo Railroadの鉄道がヒロからグレンウッドまで延長されました。観光客はグレンウッドで馬車に乗り換えてボルケーノまで行きました。しばらくすると馬車からモーターバス(motor busses)に変わりました。車が利用されるようになり馬車が使われなくなりVolcano Roadも良くなり、1926年にヒロからグレンウッドまでの鉄道は廃止されました。このころにはVolcano Roadはほぼボルケーノまで舗装されました。1823年から100年間はキラウエア火山のカルデラ内にあるハレマウマウ火口が真っ赤な溶岩で満たされていた時代で、1924年はハレマウマウ火口が大規模な水蒸気爆発を起こした年です。


1900年にメアリー・シップマン(Mary Shipman、旧名はMary Kahiwa‘aiali‘i Johnson。フェアアメリカン号でハワイに渡来しカメハメハ大王のアドバイザーとなったアイザック・デイビスの血族で、メアリーのお祖母さんは身分の高いハワイアンの皇族。メアリーはリリウオカラニ女王の友達だった。) はこの豪邸を見て大変気に入り、ご主人のウィリアム(William Herbert Shipman、牧場経営者として大成功した人。ウィリアムの両親は宣教師だった。)にそのことを言ったそうです。


メアリーには何も言わずウィリアムはその家を買って($13,000)、彼女を驚かせてあげたそうです。これはシップマン一家が初めてこの家を見てから約1年後の話です。その1年間、ウィリアムはメアリーの前では、この家に関してまったく関心がないようなふりをしていたそうです。 この家は素敵な家だというだけでなく、7人の子供がいたヒップマン一家(実際のところ10人子供が生まれそうですが、3人は亡くなったそうです。)にとって最適な家だったでしょう。ウィリアムのお母さんと兄弟(お兄さんか弟かどちらか)も一緒だったそうですから、なおさら理想的な大きな家でした。一家はThe "Big House"と呼んでいたそうです。


barbara & gary1993年にメアリーとウィリアムのひ孫であるバーバラ・アンダーソン(Barbara Andersen)とそのご主人ギャリー(Gary)がこの家を買いました。それまではシップマン家の会社WH Shipman Ltd.が所有していました。その後3年半かけて改装して現在のベッド・アンド・ブレックファスト「Shipman House Bed & Breakfast Inn」になりました。


有名な作家ジャック・ロンドン(Jack London)、ミュージシャンのヘレン・デシャ・ビーマー(Helen Desha Beamer)、リリウオカラニ女王(Queen Liliuokalani)が訪れたことがあるという歴史的な家です。 リリウオカラニ女王は、ここのラナイ(ベランダ)でポイなどを含んだランチを食べたそうです。そして食後は葉巻を吸い、グランドピアノをひいたそうです。今でもそのグランドピアノがリビングルームにあります。


建物の一番高いところ(タワーの部分)からは、望遠鏡でヒロ湾に入ってくる船を見ていたそうです。1900年代初期のヒロはcenter of commerceとしてとても栄えていた時代でした。


shipman house


私は、オーナーのバーバラにシップマン・ハウスの中を案内していただき、リリウオカラニ女王がひいたというグランドピアノを見て、女王が食事をしたというラナイ(ベランダ)で朝食をいただき、オーナーのバーバラがデザインしたシップマン・ハウスの絵が入ったマグカップでコーヒーを飲みながら、昔の様子を想像してみました。左の写真はそのマグカップ。花は香りがとてもいいプアケニケニで、シップマン・ハウスの庭でバーバラが摘んでくれたものです。朝食には庭で収穫したばかりの新鮮なフルーツが沢山でていました。


http://spiritofaloha.com/features/0704/volcano.htmlを読むと、1900年初期のハワイ島ヒロからボルケーノにかけての様子が分かります。

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temperature辺りは雪と氷だらけ・・・気温はマイナス5度・・・


これは数日前マウナケアに行ったときに、標高4200mぐらいのところから雲海を見渡し、黙々と湧き上がるような雲の中へと沈んでいく夕日をブルブル震えながら観望していたときの気温です。風もあったので体感温度はかなり低かったと思います。


ハワイ島の山の頂では真冬です。夜になると麓へ山の冷たい空気が下ってきます。今朝我が家の気温は外が14度、中は16度。一晩中山おろしの風が吹いた朝は寒いです。



P.S. 最近ボルケーノでは早朝1度や2度の時があるそうです。 このページのトップへ

heart of mauna kea

くっきりと見えるハートです。


何百回何千回と見ている山なのに、これまでなぜ気づかなかったんだろう。いつも見えている山だと、あって当たり前のものになってしまっていたのでしょうか。車窓から見るだけで、立ち止まってじっくりと見なくなってしまったからなのでしょうか。ただ見るだけで観てはいなかったからでしょうか。


毎日見逃してしまっていることが沢山あるのでしょうね。1秒1秒太陽の光の明るさや角度によって変わる風景、季節とともに移り変わる風景、天候とともに変化する風景、二度と同じ風景をみることはないですね。いつも何かが違っています。


 

 

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birding昨日はワシントンDCに住むバーダー仲間と探鳥に出かけました。


これまで雨・雨・雨・・・だったのに昨日の天気は信じられないぐらい良い天気でした。早朝まだ日が昇ってくる前にヒロを出発しました。ドライブし始めてから30分ぐらいすると、森の向こうに真っ白な雪帽子をかぶったマウナケア山とマウナロア山が姿を現し始めました。朝焼けで山はピンク色に見えました。


ベスが「Is that a heart there?」と遠くを指差して言いました。見てみると本当にハートの形をした部分がマウナケア山の山肌に見えました。大きなハートで余りにもパーフェクトな形なのでびっくりでした。私はこの山を色んな角度から何百回何千回も観ているのですが今回初めて気づきました。バレンタイン・デーは間近だし、それにべスとスティーブにとって、このハワイの旅は結婚40周年を祝うための旅なので、発見のタイミングがばっちり。forest


山側からはヒロ湾もはっきりと見えていました。真っ青な空に深緑の森、ところどころに見える真っ白な雲。気分爽快でした。繁殖期なので森の鳥たちはとても賑やかでした。これぞハワイ、Heart of Hawaiiです。森全体に響き渡る幸せそうな鳥の鳴き声を聞きながら、生き生きと伸び伸びと何百年も力強く生きている木々の中を歩くと、命の力を感じることができます。強いマナを感じとることができます。


neneバーダーというのは鳥たちと何か特別なテレパシーを発して同時に周りからのテレパシーを感じとることができるのでしょうか・・・そう思えるようなことが時々あるのですが(偶然といえば偶然なのでしょうが、ただの偶然ではない不思議さを感じるときってありませんか。)、昨日は2回もありました。飛行中のネネの声が聞こえたと思うと木々の合間からネネ(ハワイガン)が飛んでくる姿が見え、私たちのすぐ側にある草むらのところに降りてきました。私たちがそこから離れてしばらくすると声を出して飛んでいきました。その1時間ぐらい後は、「Should we take a lunch break here?」「Sure.  We'll have the birds come to us this time.」・・・なんてことを言ったその数秒後に、すぐ後ろにあった大きな岩の脇から黒い鳥の姿がすーっと飛んできたかと思うと、私たちの目の前の木の枝にとまりました。イオ(ハワイノスリ)の幼鳥でした。しばらく私たちと目を合わせていました。飛び立って遠くにいってしまうのかと思ったらそうではなく、また別の木にとまりました。更に近い木でした。こんなに近くでイオと目と目を合わせたのは初めてでした。私たちは自然の中に身を溶け込ませていたからこのような体験ができたのでしょう。


snow夕方からはマウナケア山の山頂に行きました。山頂部は一面真っ白でした。こんなに沢山積もっているのを観るのは久しぶりでした。スノーボードをやってる人達もあちこちにいました。荷台に雪を山盛りに積んで下山しているピックアップトラックを何台も何台も見かけました。私たちもピックアップトラックに乗っていたのですが、シャベルを持ってきていなかったが残念でした。家で私の帰りを待っている三女に雪をプレゼントしてあげたかったです。(長女がまだ12歳ぐらいだったときに、家族全員で雪をとりに行きました。ピックアップトラックの荷台に山のように雪を積み上げて家に持って帰り、雪だるまをつくって雪遊びをしました。そのころまだ4歳だった三女は今年14歳です。)


オレンジ色に輝く太陽が雲海の中へと沈んでいき、西の空ににっこりと微笑むように三日月が見え、月が沈みかけると夜空は雲ひとつ無く満天の星空となりました。星の誕生の場である輝かしいオリオン大星雲を見つめてからヒロへ戻りました。


このブログは、ハワイ島でエコツアーを案内するHAWAII NATURE EXPLORERSが、持続可能な観光について考えるために、あまり観光地化されていない緑豊かなヒロよりアロハをこめて発信しています。 このページのトップへ

sunset"Sir-etok"(シリエトク)とはAynu itak(アイヌ語)で、sir(陸地・大地)のetok(先端・前)という意味だそうです。アイヌ人の自然との関わりから生まれた地名に、和人がその音に漢字を当てはめたのが「知床」です。上手く当て字をしてありますが、言葉に託された意味が、意味が全く異なる漢字によって隠されてしまっているのが寂しいですね。

ハワイ島の最南端であるサウスポイントのハワイ語名はKa Lae(カ・ラエ)です。意味はthe point。Sir-etokと少し意味が似ています。

ハワイ火山国立公園内キラウエア火山の溶岩大地から南に大きく広がる海と、Ka Laeの方角に続く海岸線と、そこから続くマウナロア山のシルエット、そしてその上にある雲に沈んでいくオレンジ色に輝く夕日・・・この素晴らしい光景を知床国立公園で働くご夫婦と共に楽しみました。

ハワイ火山国立公園も知床国立公園も世界遺産です。ハワイ語もアイヌ語も文字のない言語でした。共通点がたくさんあります。

今月、知床国立公園で働く方にお会いできたことと、先月阿蘇くじゅう国立公園の阿蘇火山博物館で働く方にお会いできたことにより得た体験は、自然と自然保護、自然の中に生きた人々の言葉、知恵、文化と、その保存の大切さについて、観光のあり方などに関して、より深く考える機会を与えてくれました。

 


このブログは、ハワイ島でエコツアーを案内するHAWAII NATURE EXPLORERSの環境保護への取り組みのひとつです。緑豊かなヒロよりアロハをこめて発信しています。 

 

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この週末、ハワイ島の東側に住んでいる私は、西側のホテルに滞在なさっているお客様方をハワイ火山国立公園にご案内するために、早朝4時半に起きて5時に家を出発しました。家を出発したときは、まだ真っ暗でした。

ワイメアのスターバックスでコーヒーを買って一休みし車に戻ると6時半ぐらいでした。運転し始めると、徐々に東の空が明るくなり始め、雲ひとつ見えず、山々が暗闇から浮き出てきました。コハラ山、マウナケア山、マウナロア山、フアラライ山。素晴らしい景色でした。刻々と空の色が変わっていき、山々がはっきりくっきりと見え、マウナケア山の上には有明の月がにっこりと笑うように見えていました。

「Beathtaking!」息を呑むような夜明けの景色でした。「早起きは三文の徳」とはこういうことを言うんだなと思いました。

お客様方とホテルを出発してドライブし始めると、マウナケア山の裏側から朝日が昇ってきました。とても清い輝きでした。助手席に座っていらしたお客様が「早起きは三文の徳」というのはこういうことを言うんですねとおっしゃられました。実にそうだなと思いました。


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長谷川 久美子

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